由緒


曽根神社は延喜年間(901~922)に曽根神社から800メートルほど離れた、曽根村見帯(けんたい)に鎮座しておりました。

その見帯の故地近くには「本宮」と呼ばれる神社が祀られております。

永禄3年(1560)に上杉輝虎公が西川の掘削作業を直江山城守兼続に命じその竣工の際、諏訪湖水を拝受し、諏訪大神の御分霊を仰ぎ現在地に還したと伝えられております。

明治6年(1873)に村社となり、昭和10年(1935)に諏訪大社分霊社の称号を受けました。

 

この地域で行われる「西川まつり」は曽根神社の秋季大祭にあわせて、民謡流し、神輿渡御、代官太鼓、大筒花火、小中学校パレードなどが西川地域で8月末の金土日の3日間にわたり行われます。

特に神輿渡御では西川町の伝統文化である「越後傘鉾行列」として有名で本町通り商店街を練り歩きます。

御祭神


建御名方命(たけみなかたのみこと)

御神徳

農耕の神、勝負の神、五縠豊穣、

人々の暮らしに寄り添う神

 

日本の歴史書に登場する神様です。出雲の大国主命に対し国譲りを迫った武御雷命に、兄の事代主命は父大国主命と共に承諾したが、弟の建御名方命は反対し、長野県の諏訪湖にいたり「この地より他所には行かじ」として許されたといいます。

諏訪神社の総本社は諏訪湖の近くにある諏訪大社で建御名方命は上社に祀られております。

 

建御名方命は農耕の神、狩猟の神として古くよりに農民や狩人たちの信仰を集めておりました。

又、何事に対しても勇敢さから名だたる武将や大名たちから軍神や勝負の神として崇められました。